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⑪御自作天満宮

武蔵寺の左手にある御自作天満宮。

道真公が武蔵寺に参詣されたとき、

自ら像を刻んだといわれ、御神体となっています。

1586年、九州制覇を目論む薩摩の島津勢は

武蔵村、武蔵寺、天拝山に火を放ち、

筑紫広門の端城の天判山城、飯盛城などを攻略しました。

このとき森の天神と呼ばれていた道真公が

像を刻んだ場所にあった祠も兵火に煽られました。

社僧や村人がやっとの思いで御神体の首部だけを持ち出しました。

元禄年間に黒田藩の武蔵領主であった

立花増弘(たちばなのますひろ)が社殿を再建し、

仏師に命じて体部を作り、焼け残った首部と合わせて納めました。

その後、再び出火。

今の社殿は1883年に現在の場所に移して再建されました。

設計は当時、県の建築業界を牽引し、

福岡公会堂貴賓館や太宰府天満宮楼門などを設計した

福岡県土木建築技師の三條栄三郎(さんじょうえいさぶろう)。

1月、4月、10月の各25日に御開扉(ごかいひ)されています。




御自作天満宮:福岡県筑紫野市武藏623

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