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コラム 足跡をたどる
関連地をもっと深く知ってもらおうと作者 前野りりえが現地リポート!



㉟戒壇院
かつて僧尼になるためには守るべき道徳規範や 集団規則である戒律を受ける儀式が必要でした。 戒律を伝えたのは聖武天皇が唐から招いた鑑真。 6度目の航海でやっと来日し、 その時には失明していました。 鑑真は753年、 薩摩から平城京に向かう途上で観世音寺を訪れ、 日本で初めての授戒を行いました。 761年、観世音寺に戒壇院が 西海道の授戒の場として設置されました。 本堂の中央の段が受戒の場、戒壇です。 ここに天竺、唐、奈良の土を納めたといわれています。 現在の本堂は1680年に再建されたもの。 境内には鑑真が請来したという菩提樹の樹があり、 花咲くころにはあたりに高貴な香りを漂わせます。 本堂の戒壇 菩提樹 戒壇院:太宰府市観世音寺5丁目7-10
4 日前


㉞観世音寺
観世音寺は百済救済のために九州に下った斉明天皇が 661年に朝倉橘広庭宮(あさくらのたちばなのひろにわのみや)で亡くなったため、 天智天皇が発願した寺。 80年以上経った746年にようやく完成。 西海道最大の規模で「府の大寺」といわれました。 最盛期には49もの子院がありましたが、 そのほとんどは失われました。 現在の講堂と金堂は17世紀に再建されたもの。 宝蔵には圧倒されるほど巨大な丈六仏(約5m)3体(馬頭観音、不空羂索観音、十一面観音)のほか、 金堂、講堂に安置されていた諸仏が収蔵されています。 菅原道真公が南館で聞いた梵鐘は 「糟屋評(かすやのこおり)」の銘がある妙心寺(京都)の梵鐘と同じ鋳型で造られたとみられており、兄弟鐘とされています。 妙心寺の方が新しい時代の意匠を取り入れていることから、 観世音寺鐘の方が20年ほど早く造られたと推測されています。 現在、梵鐘は保存のため 九州国立博物館に寄託されています。 講堂 梵鐘(現在は境内にありません) 宝蔵
4月16日


㉛大宰府政庁跡(都府楼跡)
古代、西海道(さいかいどう/古代の行政区画: 筑前・筑後・豊前・豊後・肥前・肥後・日向・大隅・薩摩の9国と 壱岐・対馬・多禰の3島)の政治、外交、防衛の拠点であった大宰府政庁があったところ。奥の高くなったところが正殿跡。 東西には2棟ずつ脇殿がありました。...
2025年9月21日


㉚血持観音(ちけもちかんのん)
五条交差点からどんかん道に入り、 左手のエノキの木の裏側の根本に祀られています。 宮成(みやなり)家の妻は血の道(婦人病)の病に苦しんでいましたが、 道真公の助けで治ったといいます。 その後、妻が亡くなって墓所に石仏を祀ったところ、 婦人病に霊験あらたかとの噂が広まり、...
2025年7月13日
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