武蔵寺の左手にある御自作天満宮。
道真公が武蔵寺に参詣されたとき、
自ら像を刻んだといわれ、御神体となっています。
1586年、九州制覇を目論む薩摩の島津勢は
武蔵村、武蔵寺、天拝山に火を放ち、
筑紫広門の端城の天判山城、飯盛城などを攻略しました。
このとき森の天神と呼ばれていた道真公が
像を刻んだ場所にあった祠も兵火に煽られました。
社僧や村人がやっとの思いで御神体の首部だけを持ち出しました。
元禄年間に黒田藩の武蔵領主であった
立花増弘(たちばなのますひろ)が社殿を再建し、
仏師に命じて体部を作り、焼け残った首部と合わせて納めました。
その後、再び出火。
今の社殿は1883年に現在の場所に移して再建されました。
設計は当時、県の建築業界を牽引し、
福岡公会堂貴賓館や太宰府天満宮楼門などを設計した
福岡県土木建築技師の三條栄三郎(さんじょうえいさぶろう)。
1月、4月、10月の各25日に御開扉(ごかいひ)されています。
御自作天満宮:福岡県筑紫野市武藏623
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